理解して欲しいと言う気持ちは我侭?
公私共に必ず一度は思ってしまうことではないかと思う・・・
「自分のことも理解して欲しい・・・」
と言うことを。
色々な場面があるかと思う。
一生懸命取り組んだり、自分から口には出さないけれど影で努力していても、それをまったく汲み取ってもらえなかった時に感じたり、精一杯自分の思いを伝えようとするのだけれど、それが相手に伝わらなかったりした時だ。
理想を言えば、こんなこと思うこと事態がいけない事なのかもしれない・・・
でも、人間だからこそ、そう思ってしまうのも確かなのではないだろうか・・・
自分の行動が相手に気付いてもらえない、思いが伝わらない、こういったことが続くと、段々ストレスとして溜まってしまうし、「どうせ判ってもらえない」と心を閉ざしてしまうことにも繋がるだろう。
ITコンシェルジュにもそういったときはある・・・
でも、出来る限り、自分の思っていること、言いたいことは当事者なり、相談者なりに吐き出すようにしている。
生きていれば良いことも悪いこともある。
思い通りに行かないのが人生ともいえるのではないか。
胸に抱えたものがある時、そのままにせず、その時その時で誰かに「聞いてもらう」ことも大事なのではないかと思う。
聞いてもらうためには、自分自身が日頃から周りの人間のことを気遣ってあげられることも大切なことではないかと思う。
胸に溜め込んでしまったものがあったとき、どうしていますか?
例え、誰にも話せなくとも、自分なりの解決方法はしっかり持っているべきだと思うのです。
どうして良いか判らない、誰かに聞いてもらいたいけれど話せない、話せる人がいない、自分なりの解消法がない等、自分自身を振り返ってみて、思い当たることがあれば一度考えてみては如何でしょうか?
少なくとも、ITコンシェルジュは、人に「理解して欲しい」「悩みを聞いてもらいたい」という気持ちを、単純に我侭だとは思えません・・・
関連記事